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康熙帝 : ウィキペディア日本語版
康熙帝[こうきてい]

康熙帝(こうきてい)は、の第4代皇帝玄燁(げんよう、燁は火偏に華)。君主としての称号はモンゴル語でアムフラン・ハーン、廟号聖祖諡号は合天弘運文武睿哲恭倹寛裕孝敬誠信功徳大成仁皇帝(略して仁皇帝)。在世時の元号康熙を取って康熙帝と呼ばれる。
太宗とともに、中国歴代最高の名君とされる。その事実は歴代皇帝の中での文字を含む廟号がこの康熙帝と、澶淵の盟を締結させた最盛期の皇帝の2人にしか与えられていないことからも窺える。またの文字も、通常はの高祖(太祖高皇帝)劉邦など、王朝の始祖あるいは再建者に贈られる廟号であるが、康煕帝は4代目であるにもかかわらず太祖世祖に続いて3番目に贈られている。
== 生涯 ==

=== 即位 ===
順治帝の第3子として生まれ、1661年に8歳で即位する。順治帝の遺命により、スクサハソニンエビルンオボイの重臣4人による合議制だった。康熙6年(1667年)にソニンが死去すると、オボイが反対派を粛清して専横を振るうようになった。康煕8年(1669年)、康熙帝はソニンの遺児ソンゴトゥと謀って、モンゴル相撲にかこつけてオボイを捕らえて排除、15歳の時に親政を始めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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